【番外編No.2】時代とMini
こんにちは!
MINI宮崎です!
なんか、暑くなってきてません?
今日(3/12)は
最高気温22度っていうじゃないですか。
急な温度変化で
体調を崩さないよう気を付けたい
今日この頃
さて。
久々の番外編です!
第2回目の番外編ですが
今回はMINIの歩んできた
歴史を詳しく見ていこうと
思います!
前からずっと書きたかった
記事なんです!
今のMINIに至るまで
どんな道を歩んできたか。
MINIの軌跡や精神を
読者の皆さんと
共有できればと思います!
では始める前に
Miniについて話し始める上で
忘れてはいけない2人の男の
存在があります。
「サー・アレック・イシゴニス」
と
「ジョン・クーパー」
(左アレック・イシゴニス/右ジョン・クーパー)
この2人からMiniの
軌跡をたどっていきます
1959年
日本では
「週刊少年マガジン」
「週刊少年サンデー」
が創刊し、
世界的にみると
「キューバ革命」が起きた年。
BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)
から
横置きエンジン・前輪駆動方式という
構造を用いたコンパクトカー
「Mini」を世に送り出します。
しかし、なぜ開発するに至ったか。
それは
1956年に起こった「スエズ動乱」の影がありました。
国際的な石油の高騰を招いた先の動乱は
英国の車産業にも大きな影響を及ぼしました。
当時、「大衆車」と呼ばれるものは
1000cc前後のものばかりが占めており
維持が困難になっていく一方でした。
BMCも
同様に時代の煽りを受け、
英国車産業は
衰退の一途を辿るかのように思われました。
そこで
石油の高騰を受けBMCは
コンパクトカーの開発を始めるのです。
白羽の矢がたったのは
モーリス・マイナーを開発した
「サー・アレック・イシゴニス」
「とっても経済的で、4人乗りができる車」
このオーダーは中々に無茶な注文で
おそらくイシゴニスでなかったら
成し得なかったでしょう。
それもそのはず
イシゴニスは
10年ほど前には
既に
横置きエンジンの構想を
描いていたのです。
今でいうクラシックMiniは
こうやって誕生しました。
ところで
このクラシックMiniの原案になった
スケッチの存在について
皆さん考えたことがありますか?
実は…
イシゴニスが
喫茶店のナプキンに書いたデザインが
Mini開発へと繋がったのです!
これが最初に書かれた
Miniのデッサン
(もうそのままですね)
確かに私も喫茶店で作業を
することが多く、
やはり落ち着ける空間というのは
発想の鍵があるものですねぇ…
こうしてMINIは瞬く間に
英国で爆発的人気を誇っていきます。
エリザベス2世や
ビートルズなどの
著名人にも愛されたMini
ビートルズのメンバー
ジョージ・ハリスンの
「サイケデリック」なMiniも
有名ですね
(ジョージ・ハリスンとMini)
さて、ここから
世界に羽ばたくMiniの
お話を書かせて
いただきたいのですが
残念ながら!
長くなりましたので
続きは次回に
今回はMiniの誕生の話で
良き幕間でしょう
ではまた!